ナンバリングタイトル化
PRIDE.1からPRIDE.4までは、実行委員会形式のKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)が母体となって運営。KRSは、小室哲哉のスーパーバイザーを務めていたTKトラックス社長喜多村豊をイベントスーパーバイザーに(小室と喜多村は早実の同級生)、G-PROMOTION社長岩本龍季をチーフプロモーターに(尾崎豊メモリアル展、X JAPAN写真展等、榊原と共同プロデュース)、東海テレビ事業榊原信行をチーフプロデューサーとして、3社で企画立案運営主管になり、名古屋の広告代理店(DSE前社長森下直人が在籍した名古屋の家電チェーン・エイデン子会社のハドック、パーフェクTV!-現スカパー!の広告代理店)、メディアファクトリーをスポンサーに付け開催した。
そもそもPRIDEは、高田延彦とヒクソン・グレイシーの試合を実現するためだけに立ち上げられたイベントであった。きっかけは東海テレビ事業時代の榊原信行とG-PROMOTION岩本龍季2人がUWFインターナショナルの名古屋大会を開催し、高田延彦と深夜まで飲み明かし、高田が『もし、選手生命を賭けて試合をするならば、ヒクソンとやりたい!!』と語ったことだった。その10日後に偶然、ヒクソンの写真集を制作する話があり、ヒクソンと榊原が会うことになっており、ここから対戦の計画が始まった。当初の企画書で、K-1の石井和義館長の名前が総合プロデューサーに名前を連ねていたのも、榊原が東海テレビ事業時代にK-1名古屋大会の運営をしていたためでの配慮ある。
しかし、旗揚げするには、様々な障害が発生した。 第1に、ヒクソンの高額なギャラであった。手付け金の数千万をK-1の石井館長に借財し、榊原が契約を取り付けた。 その後、この金銭が問題になりイベント開催に障害が起こった。 石井館長がK-1主催でのイベント開催を主張したために、独自開催を主張した主管3名が当時、関西の実力者石原貴志(本名 金徳珠)に紛争仲裁を依頼し独自開催に漕ぎつけた。